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一枚に対する思い入れ

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昔に撮影したネガを一歩引いて傍観者の視点で見てみると、
ワンカットに対するショット数が少ない。
「これは」というシチュエーションでも、
もうちょっと撮ってればねえ…と今更ながら
思ってしまうのだが、その訳が分かった。

先日かなり久しぶりにフィルムカメラを担いで
山に行ってきた。
山とジッと対峙して構図を決めて瞬間を
切り取るブローニーのマミヤRZの
メカニカルなサウンドは
なんとも小気味がいい。

シャッターを切るのは
そのものを斬りとるようなもの
なのかもしれないなと思い出した。
フィルムカメラで写真を撮るには集中力がいる。
ブローニーフィルムのテープをはがし
マガジンに慎重に巻き、三脚を据え、
露出を考え、構図を決めフォーカスを合わせる。

シャッターを切るまで息をしていない。
そんな感じで撮れば3枚でもひと仕事だ。
空間を物質化しているのだからそのくらいのエネルギーは
当然だ。

出来上がりはそのときがすべてだ。
撮れていればラッキー。ダメなら残念。


デジタルの恩恵で毎日楽しく
写真ライフを送ってるのだけれど、
デジタルは写真の一発勝負の感覚を無くして
しまった気がする。たくさん押せば
どれか当たるだろう的感覚。
確かにそれで目指すような「画」に近いものが出来る。
モニターで膨大なショットのあらを探して調整する。
それはもう一連の「作業」である。
写真はまるで別物になってしまったのだ。


中学生の当時でもフィルムは一本何百円もして
高かったし、現像に出せばサービスサイズ一枚35円
プラス現像代500円也ではキツすぎた…
それから100フィートのモノクロフィルムを買い
自分で現像をするようになった。
カラーは特別だった。(それでも、今見直すと、どうでもいいものを撮っているから笑ってしまう。)


仕事でポジフィルムを使うようになり、
フジクロームRDにエクタクローム
コダクローム、アブファの高感度、たまにコニカ…と
その都度悩んだり、落ち込んだりして、結局RDPに落ち着き
プロパック20本入りを何箱も買うようになる。
(今のメモリーカードを買うようなルーティーンになってたかもしれない…)
それでもアラスカのトリップにフィルム100本で行ってた訳だからすごい決意だ、
36枚撮り×100本=3600枚。


10年という月日を経て、いまボディブロウのように
何かが
効いてきていることに気がついた。
フィルムがあるうちに、カメラが動くうちに撮ろう。
そしてデジタルでもあの感覚を忘れないでいよう!
by yoshirohigai | 2015-02-14 12:18 | 写真メモ