
フィルムの良さを語ってもどうなのかって話なのだけれど、こと出来上がったプリントに関しては当時の銀塩プリントというものは別格だ。その細密さはそのなかに引込まれて行くんじゃないかというほどのポテンシャルを持っている。ドットの数だけでなく銀の粒子と立体物とインクという液体の差異に起因しているのだと思う。インクジェットプリントはデジタルとともに写真家にもたらした福音に間違いない。利便性と色のコントロールの自由度とあいまって巨大プリントを安価に、さまざまなものに転写出来るということは革命と言える。しかしながら、六つ切サイズ以下程度の小型プリントは従来の銀塩プリントの深遠さを得ることは出来ていないのではないか?8×10インチの大判フィルムで撮影されたアンセル•アダムスの(アムステルダムでもジェイではない。)名作「ヘルナンデスの月の出」を初めて直に目にしたのは30年前日芸の学生の頃、友人が作る同人誌でスケートボードの大会を撮りに京都に連れてかれたときだ。偶然にも京都近代博物館でモノクロプリントの大々的な展示があった。展覧会の前評判はすごかったが、さすがに京都へは行けないと思っていたのだが“ムービンオン”のエディター石原さんにその話をするとそれなら時間もあるし行ってみようということになった。写真集などの印刷物では見たことがある有名なエドワード•ウェストンやアンセル•アダムスの作品であったがその黒から白への諧調の美しさと緻密さは言葉には言い表せない。大学で写真を学んでいる者にとっては衝撃と言ってよかった。退屈な写真をアーカイバル処理してなんなんだ。くらいに思っていたのにその意識は吹き飛んだ。アンセル•アダムスは白黒写真術を論理的に極めた人である。出来上がりのプリントをまずイメージして、黒から白のトーンが10段階になるように逆算して撮影、現像、引伸していくというゾーンシステムを構築した。トーン豊かなプリントを作るためにフィルムの本当の実効感度測定(だいたい表示より低い。ISO100なら80くらいが実際の感度らしい)から始まり、適切な露出時間、現像、引伸をして最初にイメージしたプリントに行き着くのだ。それらのプリントの木々のトーンはただずっと見続けてしまうようなものだった。六ッ切のプリントには一瞬が永遠の物質になっている。それがオリジナルプリントというものなのだろう。「ヘルナンデスの月の出」の撮影のときのエピソードはネットで調べるといろいろと出てくる。結構面白いストーリーなので興味ある方は探してみてください。簡単に言えば一瞬のチャンスを8×10のフィルムで一枚だけ撮ることが出来たわけだが、それを裏付ける技術があればこそなのだなあ。